「あー、これからどうやって生きていったら幸せに生きれるんだろ。」
何がベストなのかわからない。
わからないから不安に襲われる。
不安になるからどんどん気持ちも内向きになって未来に希望が持てなくなる。
こんな状況が人生で一番辛かったように思います。
希望が持てないと何をしてても不安と憂鬱な気持ちに襲われます。
「そういう時期があってもいいんだ。」
「この経験が絶対後々活きるはずだ。」
僕の場合は、そう自分に言い聞かせてなんとか乗り越えようとしましたが、現実問題として状況が変わらなければ希望を持ちようがないということも知りました。
その当時は借金が317万円あり、僕はその返済のためだけにホテルの清掃のアルバイトをしていました。
何時間働いても、何日働いても、借金は一向に減りません。
どれだけ我慢しても、どれだけ頑張って汗水垂らしても、どれだけ同じ単純作業を繰り返しても、状況が何も変わらない。
そんなことをしている間に、友達は僕より多くのお金を稼ぎ、出世をし、人としてもレベルアップしているようでした。
毎日働いている時間は変わらないのに、どんどん差が広がっていくようでもどかしかったです。
もっと毎日楽しく生きていきたい。
今の状況から抜け出したい。
みんなと同じように思い切り遊びたい。
どれだけそう思っても、僕はいつもと変わらず朝から夕方までホテルの部屋の掃除をすることしかできませんでした。
暗いトンネルにいるような絶望感
もう何をしても心から楽しめることはなくなりました。
友達と遊んでいても、家でのんびりしていても、休みの日でも、頭の片隅には借金のことがあります。
バイトのことがあります。
しかもそれが白髪の老人になるまで続くような感覚すらありました。
「たとえ借金を完済したとしても、このまま止まることなく働き続けなければいけない。」
僕にとってそれは恐怖以外の何者でもありません。
ずっとこんな生活しかできないのであれば、なんのために生きていったらいいのかわからなくなりました。
楽しみがないのです。
働く時間も、日数も、休みの日も、収入も、働く人も、働く場所も、全てを会社に決められる人生に希望を見出せないのです。
生活費を稼ぐというモチベーション以外にそこで働く理由が見つからないまま、ただただ時間を浪費するかのように働いて1日1日が過ぎていく人生を送ることが怖かったんです。
そんな人生を送るくらいなら、寝ていて非現実的な夢を見てる時間の方が幸せなんじゃないかとすら思いました。
それでも毎日頑張って、色んなことを我慢して生きることが人生なのかもしれません。
でも、インターネットの世界を覗いてみると、何やら自分の好きなことを仕事にしてたり、仲間と楽しそうに働いている人がたくさんいます。
でもそんな人たちと自分は別の世界の人間。
能力も、行動力も、人脈も何もない人間には到底到達不可能な世界に思えました。
その内、インターネットでうまくいっている人や楽しそうに生きている人を見ることすら苦痛になっていきました。
希望が持てなくなってしまう最大の原因
未来に希望が持てなくなることがどれだけきついことか。
でもなぜ、希望が持てなくなってしまうかといえば、それは自分で自分の限界を定めてしまっているからです。
それは、自分の今までの経験というデータ(情報)を元に、ある程度今後の未来を予想する人間の修正からだと思われます。
でも言ってみればそれは当たり前のことで、僕ら人間はデータ(情報)をインプットしてそれをアウトプットしているだけなのですから、そのデータにあること、厳密に言えば、自分が経験して得たデータの範囲内でしか物事を考えることができないのです。
例えば、フィギュアスケートをやったことがない人は、自分が羽生結弦選手のように軽やかにリンクを滑っている自分を想像することができません。
想像することができないというか、「自分にはできない、無理だ」と思ってしまうのではないでしょうか?
それは「軽やかに滑ることができた」という経験・成功体験を元にしたデータが自分の脳にないからです。
つまり、やったことがないことに対しては、無意識的に「自分にはできない」と脳が判断してしまうので、そう思い込んでしまうのです。
これが希望が持てなくなってしまう真の原因です。
「自分にはできる」と思っていれば、いくらでも人生を切り開くことができると思えますが、そう思えないから未来の選択肢が限られ、自分はその範囲内でしか生きていくことができないと勝手に決めつけてしまうのです。
僕の場合だと、社会に出てから今までの経験を通して
・会社に勤めても10万半ばくらいの給料しかもらえない
・会社に勤めても評価されたり求められる人材にはなれない
・何ヶ月か働くともうその仕事に飽きて辞めたくなってしまう
こんなデータが蓄積されていました。
それでいて、友達が
大手企業に就職していながらもストレスで血便が出たり、
「毎日俺何やってんだろ」って思いながら働いていたり、
疲れた顔をしてつまらなそうだったり、
そんなデータが入ってきたことで余計に就職するということに対してのイメージが悪化しました。
だからその世界で生きていくこと、つまり一生会社に雇われて生きていく人生を考えると、吐き気がするほど憂鬱な気持ちになっていました。
そして、そんな自分にとっては苦しくてしょうがない「就職」という道を選んで生きていくしかないと思い込んでしまっていたのです。
脳に騙されずに心に従った生き方の選択を
僕らの脳は情報が全てです。
これまで生きてきて五感を通じて得た全ての情報の組み合わせで今の自分が形成されていると言っても過言じゃありません。
だからこそ、取る情報を変えなければ今の現状からは変化しないのです。
そして、取る情報を変えるために先にアウトプット(行動)する。
つまり自分から進んで情報を取りに行くのです。
その過程で最も重要だと思っていることが、
「できない」
と思ってたけど、
「できるんだ」
「できるかもしれない」
と思わせてくれる人の存在です。
うまくいく・いかないは結果論なので別として、自分の心が望んでいる人生を歩むために一歩踏み出すキッカケが必要です。
そんな情報を与えてくれる人の存在と出会うことこそが、僕が取る情報を変えるために先にアウトプット(行動)する最大のメリットだと考えています。
なぜなら、先程もお話ししたように脳は自分が経験していないことはできないと考えてしまう。
できない理由ややらない理由が次々と湯水のように出てくるのはそのためです。
脳にとっては無難な現状維持を選択する方が賢いのです。
でも、心がそれを望んでいない場合、脳の判断に惑わされてはいけません。
これは価値観の問題なのかもしれませんが、僕は脳よりも心を優先すべきだと思っています。
だから我慢をしている状態、ストレスを抱えている状態からは”抜け出さなければいけない”という、義務感のようなものすら感じるほどです。
それを
「ただ嫌なことから逃げてるだけなのにカッコ良く言ってるだけじゃん」
と言われたら確かにそうなのかもしれないなと思います。
でも、そう思われても別に良くて、僕はそう捉えているというだけです。
で、僕らに感情がなければゾンビと変わりません。
でもあります。
感情があるから生きようと思ったり、幸せになりたいと望んだりすると思うのです。
だから僕はその感情を大事にしたいし、自分という人間に自然と出てくる感情を受け入れて、なるべく感情が望む方向で生きていきたいと思うのです。
ただ、頭を使わないと滅んでしまう(うまくいかない)ので、人生の大きな方向性としては感情で決めて、そのための手段は頭を使っていく、というかそれに沿った情報を取っていくというのがベストでしょう。
ちょっと話がごちゃっているので、まとめると、
・人間は情報の生き物である
・今までの経験を元にした情報から脳が「できない」と判断をする
・「できるかもしれない」と思わせてくれる他者の存在が必要
・そのために自分から進んでアウトプット(行動)して情報を取りにいく
・「できるかもしれない」と思えるようになれば希望が持てるようになる
・兆しが見えれば行動を起こすから人生が変わり始める
なんとなく理解していただけたでしょうか?
ちょっと説明すぎて申し訳ないです。(苦笑)
でも、なんでこんな話をしたのかと言えば、前提として、
やりたくない仕事はやらなくていいし、向いてないことは無理にしなくていいという価値観、考え方が僕にあるからです。
僕はある人にそうやって言ってもらった時にすごく救われた気持ちになりました。
そして、実際にそれでも豊かに生きていける手段まで教わって実践してきました。
今では先の未来が楽しみですし、何をしてても思い切り楽しむことができています。
それだけで幸せです。
僕がそうなれたのは僕が特別な人間だからではなく、ただ単に取る情報が変わり、小さくても一歩踏み出すことができたからです。
脳に騙されず、心に従って選択を繰り返してきたからです。
この記事も1つの情報なので、ほんの少しでもこの情報があなたの人生に希望が持てるようになるキッカケの1つになったら嬉しく思います。
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