逃げて、甘えて、楽をしようとして。会社に雇われない生き方を選んだ冷川涼介のプロフィール

はじめまして!冷川(ひやかわ)です。

僕は現在インターネットを使った資産作りのノウハウを教える高額スクールの運営をメインとし、それ以外ではYouTubeやブログ、SNSを使った情報発信をしています。

それだけを聞いたら「なんか色々やってる人なんだなー」と思われるかもしれませんが、

実はただの暇人で、1日の中で「やらなきゃいけないこと」は1つもなく、頑張っても頑張らなくても別にどっちでも良くて、頑張りたい時だけ頑張れる毎日を送っています。

もともと就職活動はおろか、就職をしたことがない、社会のレールから片足だけはみ出したような生き方をしてきたただのフリーターでしたが、

317万円の借金を負ったことでうつ病のニートになり、全ての自信と全てのやる気、そして、生きる希望を失ったのちに、

偶然インターネットで出会った資産家の方から学んだインターネットの使い方や商売の原理原則を元にビジネスを始め、気づけば3年近くが経ちました。

その結果、今では会社に雇われることなく、不労所得のみで生活をすることができています。

2019年には東京でセミナーをやらせていただいたり、高額にも関わらず多くの方にスクールに入塾していただいたり、現在運営している公式LINEにも2,000名を超える方に登録していただけるようになったりと、周りの人に支えられながらなんとか生き延びてきました。

先月1ヶ月の労働時間は合計で4時間以下で、それでも生活に全く困ることがないだけのお金が口座に振り込まれています。

ざっくり言うとそんな感じで、自由を手に入れた今もインターネットを主軸として、こうやってたまにブログを書いたりしています。

こんな感じで紹介すると、一見順風満帆に見えるかもしれませんが、そこに到るまでには

・社会に上手く馴染めない生きづらさ
・1度ではなく2度も経験した事業破綻
・就職経験・才能・スキル・資格・人脈ゼロの無能男にとっては多額の317万円という借金

など、決して安泰とはいえない苦悩もありました。

この記事では、僕の生い立ちや今までの活動を振り返りながら、僕がどんな想いを持って今の活動と向き合っているのか?一体何を目指しているのか?を綴っていきます。

友達の母親のひと言がきっかけで、人の目を気にする性格に

今となってはYouTubeで顔出しをしたり、SNSで自分が伝えたいと思うことをはっきり発信しているので、

「元からそういう仕事が向いてたんじゃないですか?」

と聞かれることも多いのですが、全くそんなことはありませんでした。

むしろ真逆とも言える性格で、常に人の目を気にしては、自分の意志を持たず流されるように生きてきました。


Tシャツをインしていますが、昭和生まれではありません。

そんな僕を形成した原点は、3歳か4歳の時のある出来事が起こった時でした。

友達の母親と友達と3人で買い物に出かけた日。

買い物を終えてようやく友達の家の玄関に着いた時、僕の心の声が漏れてしまい、

「え〜、また〇〇くんち?」

と、ワガママな発言をポロっとしてしまったんです。

そうしたら、それまで怒ったところを見たことがなかった友達の母親が、

「だったらもう来なくていいい!」

と、初めて僕に怒ったのです。

それ以降の記憶は残っていませんが、僕にとってそれはものすごくショッキングな出来事でした。

その衝撃が、今でも消えない僕の

「本音を言ってはいけない」

「相手に嫌なことを言うと何倍にもなって自分に返ってくる」

という、恐怖心になってしまったんです。

だから僕は、Noと言えない人間になってしまいました。

自分の本当の思いを相手に伝えることができない人間になってしまいました。

なので、自分が本当にやりたい遊びがあったとしても常に友達が提案した遊びに流されるし、本音でぶつかれないので本当の友達はできなかったし、 バカにされても言い返すこともできず、ただヘラヘラ笑ってその場を乗り切るような人間になってしまいました。

大人になってからも自分の意見は言えず、ただただ言われたことを淡々とこなして自ら仕事をつまらないものにしてしまうように。

決して不幸だったというわけではないし、周りの人たちには本当に恵まれて生きてきました。

だけど、どこか自分が本当にしたいこと・言いたいことを押し込めていたような感覚もありました。

そんな違和感を抱きながらも、

「本音をいえば嫌われるかもしれない」
「相手を傷つけることを言ったら自分が嫌な思いをするかもしれない」

という恐怖に勝てず、社会人になるまで常にまわりの出方を伺いながら自分の行動を選択する人生が続いたんです。

そうやって周りに合わせるのがしんどいから、人とはほどよく距離を保って一人の世界に閉じこもる。

極端に人に干渉されることを恐れる人間になっていきました。

それは決してまわりの人や環境が悪いのではなく、「まわりに合わせなきゃいけない」と思い込んでいた僕の臆病な心が原因だったんです。

「やりたいことがないんだったらお金貯めて世界一周してみれば?」

高校3年生の進路を決めるとき、特にやりたいことがなかった僕はなんとなく「周りがみんな大学に行くから」「大学に行けば”就職”という面倒くさそうなものから一時的に回避できるから」という理由で、自分の偏差値にあった大学を志望し、その大学に通うことになりました。

当時はそこまで深く考えてはいませんでしたが、大学生活やアルバイトを経験したことで、

「大人になるにつれて自分も成長して、臆病な自分も変わるかもしれない」

と無意識でどこか期待していたかもしれません。

だけど、ただ環境が変わっただけでは自分の内面が変わるわけではありませんでした。

意志を持たない僕は、バイトをしても優秀な同年代たちに劣等感を抱き、先輩や上司に言われたことだけをこなし、あっという間に最初の1年を終えました。

幸いにも人に恵まれ、仕事自体は苦ではありませんでした。

だけど、主体的に動くことをせず思考停止したまま家と会社の往復で終える毎日に「このまま下手したら40年過ごすのだろうか…」という漠然とした不安が襲ってきたんです。

自分にはやりたいことも、夢も、信念もない。

だからこの生き方を変えるのはどうせ無理だろう。

でも、このままつまらない仕事をして死んでいくのはあまりに味気ない。

そう思っていたところに、東日本大震災が起き、成り行きりで宮城県の石巻市というところにボランティアに行くことになりました。

早朝のゴミ拾いの風景

そして、そこで共同生活をしていたボランティアの方に

「やりたいことがないんだったらお金貯めて世界一周してみれば?旅は良いもんだよ」

一度は耳にしたことのある言葉でしたが、あまりにも簡単そうに言うので僕は衝撃を受けました。

そして同時に

「自分もそんなふうに旅をして、色んな世界を見てみたい!」

というワクワクした気持ちが湧いてきました。

何から始めればいいかもわからない状態で、とりあえず旅の資金を稼がなければいけないと思って、大学を休学し、地元の後輩の父親が経営している建設会社で土木作業員としてバイトを始めました。

田んぼで暗渠(あんきょ)という水はけを良くするための水路を作ったり、雪が道路に積もるのを防ぐ防風柵を直したり、JRの線路の除雪をしたり…

初めての肉体労働は身体もきつく大変でしたが、自分が心からワクワクする目標ができたことで働く理由が生まれ、精神的な辛さは不思議と感じませんでした。

約1年のアルバイトを経て、ついに僕はバックパッカーとして世界一周の旅に行くことになりました。

情けない自分があらわになった2度の起業

旅は僕に自由の素晴らしさや、様々な文化、価値観、景色があることを教えてくれました。
(旅の詳しい話は長くなりそうなので別の記事で語ろうと思います)

そして、怖くても新しいことにチャレンジするということは、自分の世界を広げることなんだということを実体験として学ぶことができました。

帰ってきてからの僕は、以前よりだいぶアクティブになったと思います。

それまでのバイト経験を通して、

・心から楽しい!向いてる!と思う仕事がなかったこと

・誰かに指図されることや言われたことをやるだけの仕事が僕には苦痛だったこと

・毎日早起きしなきゃいけないことがストレスだったこと

・休みを取るだけで罪悪感を感じることに疲れたこと

・どんな仕事をしても同世代より仕事ができなかったこと

これらの理由から

「だったら自分で仕事を作ってお金を稼げばいいんじゃないか?」

そんな安易な発想とノリのような感覚で友達を誘って、少ない資金でも始められる小さなネイルサロンを立ち上げました。


広告に掲載した写真の一部

もちろんバイトしかしたこともないようなビジネス素人の僕にはハードルが高く、1年を立たずに店は潰れました。

それでも、会社に束縛されない働き方に希望を見出した僕は、諦めきれずにブランディングの事業を立ち上げます。
(主に企業や店舗のブランドイメージ作りやホームページを制作する仕事でした)

でも、それも1年経たずに失敗しました。

最初は仲間に大口を叩いていたんです。

「これは絶対にうまくいく!」

「おれ仕事いっぱい取ってくるから頑張ってこう!」

でも、僕は何もできませんでした。

新規のお客さんを取るために飛び込みで営業に行こうと思ったんですが、怖くて足が震えるんです。

だったらしっかりとプレゼンの資料を用意して電話でアポを取って、そこから営業に行こうと考えたんですが、それもできないんです。

電話をしようとしたら手が震えるんです。

それで僕は、仲間に大口を叩いて一丁前に立派なことだけ偉そうに言って、そのくせ何もできないまま会社をたたみました。

悔しいとも思いませんでした。

ただただ自分が惨めでした。

そして、2回目の起業に失敗したことは、1回目の失敗とは比べ物にならないくらいほどのダメージをもたらしました。

人生で初めて味わった「絶望」

それは、「自分には就職をして、白毛の老人になるまで会社の奴隷として生きていく道しかない」とわかったことです。

僕にとってその事実は死刑宣告と同義でした。

つまらない仕事に人生の大半の時間を捧げなければいけないことが確定したことで、いくら未来を想像しても人生が楽しくなること、ワクワクすることがイメージできなくなりました。

毎朝仕事に行かなきゃいけないから半強制的に早起きをし、満員電車に揺られ、言われたことだけをこなすだけのつまらない仕事を延々と繰り返し、それでいて満足のいく給料も充実感も得られず、色んなものを諦めて生きていく日々が何十年も繰り返される毎日を想像するだけで憂鬱な気持ちに襲われ、胸が苦しくなりました。

なんのために生きていけばいいのかわからなくなりました。

だから、そこからのバイト生活は死ぬほど苦痛に感じました。

なんの仕事をしても中途半端で、長続きしませんでした。

「結局自分は他の人が当たり前にできてることもできない、価値のない人間なんだ」

と絶望し、会社の仕事にも身が入らなくなって、業務もささいなミスが続くようになりました。

20代後半になって始めたバイトでは、自分より年齢の若い人が上司になることもあります。

年下に指図されて、それに従って動いている自分が情けなくてしょうがなかったし、バイトだったので正社員で働いている友達より給料が低くて劣等感を感じて惨めだった。

「お金さえあればこんな思いをしなくて済むのに…」

「なんで社会ってこんな生きづらいんだ…」

「何十年も貯めたお金で大学まで行かせてくれた親に申し訳ない…」

色んな思いが巡りました。

でも結局何の仕事をやっても続かないし、バイトの仕事すらまともにできず、まわりに迷惑をかけている自分は「ダメ人間」だと何度も思いました。

そうしたある日、仕事帰りの車内で急に涙が溢れてきました。

「こんな人生を送るはずじゃなかったのに…」

「もうこんな毎日を送るくらいな死んだ方が楽かもしれない。」

その日の夜、明日も会社に行くのは無理だと思い、また僕は仕事を飛びました。

一発当ててめでたしめでたし…となるはずだった

そんな僕は仕事がない期間に、「自分はこれからどうしたいのか?」「そもそも自分にとっての幸せってなんだろう?」と徹底的に振り返ってみることにしたのです。

今まで自分が出会ってきた人たちの話しや、自分自身が経験した中で考えたことなどをA4用紙8枚分くらいにダーっと書き出した結果、

とにかく”お金”さえあれば、毎日が同じ繰り返しのルーティンのような生活になることもないし、誰にでもできる仕事を淡々とやって自分には価値がないと思うこともないし、SNSやテレビを見るたびに嫉妬心が芽生えることもなくなるに違いない!

とにかくお金だ!

やっと一筋の光が見えてきたと思い、それを実現するにはどうすればいいんだろう?とネットで調べている時に偶然見つけたのが、当時流行っていた仮想通貨でした。

「投資したお金が100倍、1000倍になる」

僕は心が踊りました。

「これならもうバイトをしなくてもいい生活が送れる!」

当時ホテルの部屋の掃除をするバイトで稼いだお金の半分以上を仮想通貨につぎ込みました。

友達にも話し、お金を借りて一緒に投資したりもしました。


友達が100万円をATMで下ろした直後

でも、結果全てを失いました。

むしろ僕の手元に残ったのは317万円という、ただのフリーターにとっては途方も無い多額の借金だけでした。

そこからはもぬけの殻のようになりました。

今振り返ってみると、僕はお金が欲しかったわけじゃなくて、ただ単にお金のことを考えたくなかっただけでした。

給料が安いことで自分より給料のいい友達と自分を比較して劣等感を感じることとか、

金持ちを見て羨ましいと思うこととか、

欲しいものを我慢して諦めることとか、

お金がないせいでやりたくもない仕事を毎日しなければいけないこととか、

とにかく僕はもう何も考えたくなかったんです。

楽になりたかったんです。

正直、僕が海外で見てきた今日明日を生きることに必死な貧しい子どもたちの悩みと比べたら、贅沢すぎて意味不明な悩みです。

でも、それが僕の本音だったんです。

それが苦しくて、でもどうしたらいいかわからなくて、絶望していたんです。

そこから僕はうつ病になりました。

ニートになりました。

言ってしまえば、辛い仕事から、社会から逃げ出したのです。

親に甘えて、1円もお金を入れず、ご飯を作ってもらい、お風呂を沸かしてもらい、掃除をしてもらい、何から何までやってもらっていました。

まさか自分がこんな人生を送ることになるとは想像もしてませんでした。;

テレビで芸能人を見ても、YouTubeで成功者の動画を見ても、SNSで友達の投稿を見ても、何をしても劣等感と嫉妬心しか感じなくなりました。

「こうやってダラダラ過ごしている間に、みんなは頑張って働いてお金も稼いでいるし、人としても成長しているんだろう…」

そう考えると、世界で一人だけ取り残されたような孤独すら感じました。

3年近くが経った今でも、この時のことを思い出すと胸が苦しくなりますし、絶対に2度と戻りたくありません。

それくらい、多額の借金を負い、未来に希望が持てなくなったことで、人生が真っ暗になりました。

一通のメールで人生が変わり始める

そんな底辺にいた僕の人生が変わったのは、ベッドで1本のYouTube動画を見たことがきっかけでした。

僕はそのYouTube動画の発信者であるエデンさんという人の話に雷に打たれたような衝撃と感銘を受け、そこからメルマガに登録したり、Twitterをフォローしたり、とにかくエデンさんから学ぼうと行動を起こしました。
(行動と呼べるほどのことではないですが…)

数ヶ月経ったある時、メルマガで一通のメールが届きます。


人生が変わるきっかけとなった一通のメール

「ファンクラブ募集します」

僕は考える間もなくリンクをクリックして募集要件を確認し、すぐにメールを送りました。

そこから、ファンクラブを立ち上げたエデンさんや、全国各地から年齢層もバラバラな参加者の方々とのLINEグループに参加させてもらえることになりました。

「会話のレベルが高すぎる」

そう思い、最初はただの傍観者になっていました。

でも、入って2週間ほど経った時にある疑問が芽生えました。

「あれ、このまま発信を受け取っているだと人生何も変わらないんじゃないか?」

そこからLINEのメッセージ欄に初めて文字を書き出しました。

書いては消し、書いては消しを、何度も繰り返しました。

そして2時間くらいかけてようやく自分のことを伝える文章が出来上がりました。

でも、送信ボタンが押せない…

怖くてまた手が震えました。

何か嫌なことを言われたり、冷たい対応をされるのが怖かったからです。

でも、”冷たい対応をされたり全員にシカトされる恐怖”よりも、”人生に変化が起きず、現状維持が続くことの恐怖”が打ち勝ち、最後は、

「もうどう思われてもいい、最悪退会すればいいんだ!」

と、思い切って送信ボタンを押して、その瞬間にスマホの画面を消しました。

今思うと、あの時送信ボタンを押さずにただの傍観者でいたら、今の自分はいなかったでしょう。

おそらく、今頃土木作業の仕事に戻って、死に物狂いで借金返済のためだけに働いていたと思います。

でも、そんなとてつもなく小さな一歩から、間違いなく、少しずつ、人生が上向き始めました。

正直うさん臭いと思ったネットビジネスを始める

エデンさんから、

「今ならインターネットを使ってビジネスをするのが圧倒的に期待値が高いよ」

と教わり、そこから全く未知の世界であるインターネットを使ったビジネスへと足を踏み入れました。

ビジネスに失敗した経験しかなかったので不安もありました。

インターネットはせいぜいネットサーフィンとYouTube、SNSくらいしか使ってなかったですし、人脈もなければ貯金は銀行口座に18円しかない、むしろ借金でマイナスの状況です。

インターネットビジネスと聞くと、正直うさん臭いとも感じました。

でも、どうしてもこの最悪の状況から抜け出して豊かになりたいという思いが勝りました。

もう二度とお金のことで悩みたくない。

雇われずに生きていけるようになりたい。

藁にもすがる思いでした。

最初は試行錯誤の繰り返しで、うまくいかないことだらけでした。

でも、

「自分ができることの中で、目の前の困っている人に喜んでもらったらいいんだよ」

と教わり、自分で勝手にハードルを高めて完璧主義になっていた自分に気づかされました。

僕がやったのはインターネット広告に投資をして複利をかけて資産を増やしていくという方法で、2,000円の投資から始めて利益を出しました。

ネットのみで自分の力でお金を稼ぐのは初めての経験でしたので、僕は有頂天になりました。

このまま行けば、借金も少しずつ返せるし、周囲にも面目が立ちます。

何よりも僕が欲しくてたまらなかった「会社に雇われない上にお金のことで悩まなくて済む生活」ことができるかもしれないと思いました。

頑張ろうと肩肘を張ると継続ができない性格なので「1日1分だけやろう」と決めて、来る日来る日もパソコンの前でキーボードを叩きました。

その3ヶ月後、月収3桁を超えました。

僕は亜然としていました。

毎日数万円の利益が発生するようになった時も、僕はいつものようにロッテリアの100円バーガーを食べていました。

環境の変化があまりにも急激すぎて、実感が追いつきませんでした。

ニートでうつ病の借金317万の男のもとに、見たことのない金額が転がり込んできたのですから。
(ちなみに即座に消費者金融のATMに吸い込まれていくのですが・・・)

夜寝て朝起きると10万円くらい利益が発生している日もありました。

僕の信じていた世界は完全に崩壊しました

永遠に尽きることのないと思っていた借金がすべて返せました。

旅行ばかりしていても使いきれないほどのお金が入金されるようになりました。

同世代の友達が1ヶ月かけて得られるお金が、たった数日で作れてしまうこともありました。

これほど見事に人生がひっくり返るとは、自分でも思っていませんでした。

もともとビジネス自体に大した興味があったわけではありません。

映画や音楽や旅行の方がよほど好きなので、ある程度収入が作れるようになってからは、夢中でビジネスをするのはやめました。

週休5〜7日の生活を数ヶ月続け、帰りの切符を買わずにふらふらと旅行したり、一泊数十万のホテルに泊まってみたり、値段を見ずにネットサービスを次々課金してみたりしました。


バンコクの高級ホテルにて

友達には、まだニートやってんの?と間違われました。

そんな生活をしていても収入は伸び続け、この前節税のために作った会社の決算報告書を見返してみたら、ゆうに8桁を超える収入を獲得していました。

正真正銘、社員0名、僕が1人でパソコンとスマホ一台で獲得した収入です。

それでいて週休5日〜7日の生活を続けることができたのは、ちゃんと放置していても収入が発生する「仕組み」を作ったからだと思います。

正直今はこの豊かな生活が当たり前になってきて、お金も心の余裕もなかった当時の気持ちを少しづつ忘れつつあるのを感じます。

でもあの頃の苦悩や葛藤は、僕の人生で絶対に忘れたくないものの一つです。

「お金がない」

「お金を稼がせぐために働き続けなければならない」

というただそれだけのことのために、今も不自由な暮らしを強いられている人はたくさんいると思います。

僕も以前はそうだったので、その苦しさが痛いほど分かります。

お金のことで悩みたくない。

雇われずに生きていきたい。

豊かに生きていきたい。

そう思いながら、わずかな時給と引き換えに一度しかない人生の貴重な時間を売り払っていました。

だから僕は「雇われずに生きていく」ということに人一倍執着するようになったし、人は誰しも自分らしく豊かに生きるべきだという考えを抱くようになりました。

僕が情報発信する理由

欲しいものも、やりたいことも我慢して、大切な人にもたくさんのものを我慢をさせながら、お金や生活のために働くだけで年老いて死んでいく…

そんなのはあまりにも悲しすぎます。

サラリーマンをやっている僕の友人たちは、ほぼほぼ例外なく会社や上司の愚痴をこぼします。

「毎日働きながら、”おれ何やってんだろう”って思ってるよ」

「上司が自分の人生のことを何も考えてくれない傲慢野郎で胃に穴が空きそう」

「ストレスで血尿が出た」

「何も働いてないくせに自分の倍近い給料をもらってる上司が許せなくて今すぐにで仕事辞めたい」

「今の仕事なんてお金稼げなかったら絶対やってないね」

「できることなら自分でビジネスやってこの生活から解放されたい」

僕は今まで生きてきてそういう声をたくさん聞いてきましたし、僕自身、会社に雇われていた時は、会社の人とうまく人間関係が築けずにいつも疎外感を感じていたし、

朝起きた瞬間から「今日も仕事だ」と思うと胸が苦しくなって吐き気がしてたし、

満足のいく給料をもらえることも出世をすることもできるほどの努力もできなかったので、ただただ早く時間が過ぎないかなーと思いながら働いていたし、

そんな働き方をしてたので仕事ができる人やたくさん給料をもらっている人と自分を比較して何の価値もない人間だと思っていました。

何よりも、次の日も、その次の日も仕事の予定で埋まっている状態が続くと苦しくてしょうがなくなっていました。

だからそこからいつも逃げて、自分にも周りにも甘えて、何も考えずに思考停止して楽をしようと生きてきました。

だからそんな状況を解決するためには”お金”が必要で、お金があれば会社に雇われることもなく、自由に生きていけると思っていました。

お金があれば、みんなから尊敬されるようになると思ってました。

お金があれば、人に流される自分を変えられると思ってました。

お金があれば、もうお金のことを考えなくてもよくなると思ってました。

でも、僕が本当に欲しかったものは、お金ではありませんでした。

僕が本当に欲しかったものは、

スケジュール帳の予定が真っ白で、朝起きた瞬間に「今日は何をしよう」から始まる毎日が送れることだったり、

上司や年下に指図されたことに従って奴隷のように義務感を感じながら働くことがないことだったり、

SNSやテレビを見ても嫉妬心や劣等感を感じてることがない、

そういう状況でした。

そして、これまでの経験を通して、その状況を得るための時間とお金は、月に30万円の不労所得さえあれば、一部の天才のようなごく一握りの1%の人間や、誰もが知る有名大学を卒業した高学歴の人間、仕事で結果を残し続けてきた優秀な人間でなくとも手に入れることができるということがわかったんです。

その状況さえ作れてしまえば、会社に雇われて生きていく必然性もお金の悩みも人生の中から消滅します。

だったら、

「今会社に雇われていることで苦しい思いをしている人が、月30万円の不労所得を得られるような状況を作るサポートがしたい」

そう思い、これまでの経験や知識、ノウハウを活かしたスクールの運営を始めました。

僕がスクールの運営をしたり、YouTubeやSNSを通じて情報発信をしているのは、インターネットを使ったお小遣い稼ぎの方法を広めたいからではありません。

月2万や3万といったお小遣い稼ぎなら正直誰でも作ることができますが、そんなお金を作ったところで永久に豊かにはなれないと思っているからです。

僕がお伝えしているのは、一度きりの人生を幸せに生きるためのお金・時間・場所・人間関係等の束縛が一切ない、”雇われずに人生を豊かに生きる方法”です。


旅をしていた時のお気に入りの一枚

僕は典型的な公務員家系で、大学生まで人は学校を卒業したらみんな横一列に並んで一生懸命就職活動をしてサラリーマンになり、定年まで自由もなく忙しく働くしかないものと思っていました。

サラリーマンという道から逃れるにはニートになるしかなく、そこを抜け出すには自分で大きなリスクを負って事業を起すしかないのだと思っていました。

もちろん起業や投資でご飯を食べている人たちがいることも知っていましたが、そんな世界で成功できるのはごく一部の金持ちや天才だけだと思っていました。

だから、コストをかけずにインターネットで利益が出続ける仕組みを作って、雇われずに生きていけるという選択肢があると知ったとき、心の底から救われた気がしました。

あのときの感動と、自由に生きる喜びを少しでも多くの方に伝えたいと思って、お金のためにあくせく働く必要なくなった今も、こうやってブログやSNS等で情報発信をしています。

僕の「公式LINE」で、資金・知識・人脈ゼロ、むしろ借金返済に追われていたニートでうつ病だった僕が、恐る恐るインターネットビジネスという不可思議な世界に飛び込み、雇われずに生きていけるようになるまでに見たこと・経験したこと・学んだことなどを、赤裸々に本音で語っています。

よくあるスパム的な情報発信ではなく、純粋に役立つ面白い話をしています。

もちろんあなたは雇われずに生きていく事なんかに興味はなくて、サラリーマンでいいよ、今の生活でいいよ、と心底満足しているかもしれません。

そういう場合は僕の情報を受け取っていただく必要はありません。

どうぞこのブログ記事を閉じて、僕の存在は忘れていただければと思います。

人生を豊かにすること、雇われずに生きていける事に少しでも興味がある場合のみ購読してください。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

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