「仕事行きたぐねえええええ」
って思うことってありますよね。
でも、
生活費を稼がなければいけない。
出勤する義務があるから行かなければいけない。
休んだら一緒に働いてる人に迷惑をかけてしまう。
こういった理由から休めないということは往往にしてあると思います。
でも、本当にこういう生活を続けることが幸せなのか?
なぜ僕がこういった生活を辞めてせっせとブログを書いているのか?
今日はそんな話をしたいと思います。
毎日義務感を感じながら働くことが本当に幸せ?
会社に雇われて生きていると、色んな義務や束縛でがんじがらめの生活を送る羽目になります。
・朝早起きしなければならない
・満員の電車に乗らなきゃならない
・上司にヘコヘコして気を使わなければならない
・やりたくない仕事でもやらなきゃならない
・1日8時間以上働かなきゃならない
・住む場所は会社に通いやすい場所にしなければならない
・どれだけストレスを与えてくる人とも一緒に働かなきゃならない
・行きたくない飲み会にも参加しなければならない
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・
挙げたらきりがないのでこの辺で。
一般的に社会に出て働いていたら、これらのことは別に当たり前じゃないか?と思うと思います。
僕もよく親や上司に
「我慢して働くのは当たり前だ」
「社会は甘くないぞ」
と、耳にタコができるほど言われてきました。
でも僕にとってはそれは違和感でしかなかったんですよね。
「なんで我慢しなきゃダメなの?」
「なんで好きなときに休めないの?」
「金持ちの子どもか頭が良くて努力を惜しまずできる意識高い系の人間じゃないとこういう働き方しかできないの?」
幼稚かもしれませんがこういう疑問をずっと持ちながら生きてきました。
だって楽しく生きたいじゃないですか。
何もかもを決められて自分の好きなように生きれない人生なんて嫌じゃないですか。
自宅と会社の往復で同じ繰り返しのような毎日で歳を取ってくなんて嫌じゃないですか。
なんのために生きてるのかわかんなくなるじゃないですか。
ワガママで子どもっぽくても、それが僕の本心だったんです。
就職だけはしたくなかったんで27歳くらいまでアルバイトしてたんですが、フリーターってサラリーマンより「下」ってイメージないですか?
僕は自分でその道を選択しながらもずっとそう思ってたんですね。
27歳の時はホテルの部屋の清掃のバイトしてたんですけど、「この歳でホテルの清掃のアルバイトをしてる」なんて恥ずかしくて友達の誰にも言えなかったです。
でもそれしかお金を稼ぐ手段を知らなかったんです。
だからYouTubeで堀江さんとか西野さんとか、なんか自由に自分の好きなことを仕事にしててる姿を見るとすごい羨ましくなったりもしてました。
そういう人たちと自分を比較して勝手に苦しくなった時期もありました。
もう誰にも尊敬される要素なんてないし、同世代のサラリーマンの友達と話してるだけで僻むようになったりして、
「こんな人生送るはずじゃなかったのに…」
ってずっと思いながら生きてきました。
この時に一つだけわかっていたことは、
『義務でがんじがらめの人生は僕にとっては幸せな人生じゃない』
ということだけでした。
「知ってるか知らないか」というただそれだけの違いで人生は180度変わる
そんな僕の人生が変わったのは一人の世界的な資産家との出会いがキッカケでした。
その方から学んだことは、こんな僕でも会社に雇われないで生きていける方法があるということです。
僕が義務にがんじがらめになって、毎日行きたくないと思いながらも会社と自宅を往復する毎日を繰り返し、仕事をしてもこんな単純作業しかできない自分には価値がないなと思いながらわずかな日銭を稼ぐ毎日を送っていた僕にとって、その事実は希望のようなものでした。
そもそもなぜ僕が会社に雇われてアルバイトをしていたのかというと、生活するためのお金が必要だったからです。
生活するためのお金を稼ぐためには、自分の時間を売って労働しなければなりません。
これが義務でがんじがらめになり、好きな時にも休めず、行きたくない仕事にも行かなきゃならなくなっていた原因です。
要は時間を売ってその対価としてお金を得ている働き方をしているから、
「こんな人生送るはずじゃなかったのに…」
となっていたということですね。
でもここが大事なポイントなんですが、お金を受け取れるのは「労働を頑張ったから」ではありません。
サラリーマンやフリーターの場合は、会社に「利益を与えたから」お金を得られますが、労働それ自体は手段に過ぎず、別にお金を受け取るに値する行為ではないんです。
例えば、頑張って汗を流して働くだけでお金をもらえるなら、スコップをもって公園の砂場に行き、掘って埋めて掘って埋めてを延々に繰り返している人も、お金を受け取る権利があるということになります。
それはなんだかおかしいですよね。
仮にみんながそんなことをしている会社があったら、その人たちがもらう給料はどこから出てくるのでしょう?地中から湧いてくるのでしょうか?
お金とは「労働」の対価ではなく、誰かに与えた「価値」の対価です。
以前の僕が毎月お給料として20万円もらっているとすれば、それは僕の労働力と時間に、会社が20万分の価値があると査定したということです。
(ずっとアルバイトだったので20万円以上の給料をもらったことは一度もなかったですが…笑)
仮に1日20時間働いても、会社に利益をもたらさなかったり、損害を与えていたりすれば、彼はやがてクビになってしまいます。
お金が誰かに与えた価値の対価だと考えると、ほとんど働かないのにお金を受け取る人がたくさんいることにも説明がつきますね。
自動販売機を設置するのも、
アパートの部屋を貸し出すのも、
出資を募っている会社の株を買うのも、
事業を始めて商品やサービスを広めるのも…
すべてが誰かにとっての価値であり、それで喜ぶ人、助かる人がたくさんいます。
つまりそれらはお金を受け取るに値します。
社会に価値を提供する方法とは、自分の時間や労働力を売ることだけではないということです。
僕はそれを知って、インターネットを使って価値を提供することで生活費を上回るだけの不労所得を得ることができたので、会社に雇われずに暮らすことができるようになりました。
(詳しい話は公式LINEで全部包み隠さず伝えてます)
別に東大に入れるくらい昼夜問わず勉強したわけでも、プロボクサーになるくらい死ぬ気で努力したわけでもありません。
ただの平凡な、むしろ平凡以下のクズみたいな人間でも不労所得を作って会社に雇われないための時間とお金の自由を得ることはできたんです。
だからこそ、僕は『知ってるか知らないか』だけの違いで人生は180度変わるし、自分が望みさえすれば理想の人生は得られるんだと思うんです。
僕が20代最後の時間を使ってブログを書く理由
今僕は29歳なんですが、なぜ20代最後の時間を使ってブログを書いているのかというと、
『暇だから』
です。
不労所得が月数十万から数百万円入ってくる状況を作ってしまうと本当にビックリするくらいやることが無くなります。
去年のコロナで旅行にも中々行けず、毎日家にいたのでNetflixでドラマや映画を見るか、本を読むか、たまに運動しに行くくらいしかできていませんでした。
でもそれも飽きてきます。
普段はやらないスマホゲームをやってみたりもしましたが、なんせ究極の3日坊主なので、それもすぐに飽きてしまいました。
喉から手が出るほど欲しかった会社に雇われない生活が手に入ったのに、
「なんて贅沢な悩みなんだ!」
「傲慢すぎる!」
と思われるかもしれませんが、僕もそう思います。(笑)
やっぱり人間は無い物ねだりというか、欲深い生き物だなーと毎日実感しています。
まあそんな感じなので、せっかくインターネットっていう最強のツールが使える環境にいるしそれを存分に駆使して人と繋がったり、自分ができることで何か伝えられたらなという思いが芽生えてきたというわけでございます。
今回は書いてないですが、今まで人として最低なこともたくさんしてきましたし、誰よりも嫌なことから逃げ続けてきましたし、そのくせ見栄っ張りでプライドが高いどうしようもない人間です。
30歳を目前としているのに未だに幼稚な価値観と性格で、暖かい周りの人たちに助けられているおかげでなんとか生きています。
だから誰かに何かを伝えるなんてことはすごくおこがましいことであるとわかってはいるんですが、それでも僕が学んできたこと・経験してきたことが、以前の僕と同じように悩んでいるどこかの誰かの役に立ったら嬉しいなと思うのでブログを書いています。
僕の情報がキッカケで同じように暇になる人が現れたら、その時は一緒に酒を飲んだり、僕北海道に住んでるので一緒にバーベキューしたり、キャンプしたり、観光したりできたら楽しそうだなーっていう気持ちもあります。
とにかく、毎日会社に行かなきゃいけないこととか、仕事をしてもこんな単純作業しかできないんだと「自分に価値がない」と思ってしまうこととか、テレビやSNSや友達の話を聞くと嫉妬心が出てきてしまうこととかがない状況が欲しくて、本当に欲しいものはお金じゃなかったんですね。
でもその状況を得るための時間とお金は不労所得で月30万円くらいあったらもう余裕だよってことが伝わってくれたら嬉しいです。
そのための具体的な方法も公式LINEで公開していますし、それを伝えるためにこれからもマイペースに記事を書いていこうと思います。
30歳になったら少しは大人になれるかなー
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