お金を稼ぐって難しい
お金を稼ぐのは大変なことだ
そんな風に思ってませんか?
僕も18歳の時からずっとそう思ってました。
でも、世の中には
「お金を稼ぐことは簡単だ。」
という人がいるのも事実です。
この違いは一体どこから来るんでしょうか?
何がこの違いを生み出しているんでしょうか?
今日はそんな疑問を解き明かしていこうと思います。
今すぐ首をくくって死んだほうがマシだと思いました
僕が月収100万以上を継続的に稼げるようになったのは、インターネット広告への投資を始めて約3ヵ月後です。
(インターネット広告への投資については公式LINEでお伝えしています)
うつ病を患い、ホテルで部屋の清掃をするアルバイトを飛んで、ニートをしていた直後のことでした。
時間が有り余っていた僕は、ますますビジネスの世界に没入していきました。
睡眠、食事、歯磨き、お風呂など、生活に必要な時間以外はほとんどすべてを断捨離して、インターネット広告への投資のビジネスに当てました。
すでにこれで食べていくという気持ちは定まっていました。
就職しろという周囲からの圧力はありましたが、知ったことではありません。
バイト先の社員たちのように何十年も家畜同然の生活を送るくらいなら、今すぐ首をくくって死んだ方がマシだと思いました。
しかし自分で食べていくということは、やっぱりプレッシャーもあります。
ボーナスも退職金もなく、社会的な保証や信用もない。
サラリーマンなら少々仕事に手を抜いたところで給料はもらえますが、自分が事業主の場合、手を抜いた結果はもろに自分の収入を直撃します。
人並みに稼げるようになったからといって、そうそう不安がなくなるわけはありません。
まして僕は超貧乏でした。
ほとんどすべての消費者金融で上限MAXまで借り入れ、さらに友人からも数百万を借り、税金も数年分滞納していました。
裁判所から財産差し押さえ通知が届くこともありました。
はっきり言って月20万や30万の収入では焼け石に水です。
僕が人並みの生活を送れるようになるためには、最低でも月50万くらいは安定して
稼げるようにならなければなりませんでした。
さすがに月50万という数字がどういうものかは僕も知っています。
バイト先の社員たちは、自分の人生のほとんどを会社に捧げているにも関わらず、
月20万の手取りもありませんでした。
大企業に内定をもらった優秀な友人は、初任給が月25万だと自慢をしていました。
僕の小学校時代からの友人は、建設現場で激しい肉体労働をして手取り23万くらいでした。
月50万稼ぐということは途方もないことだとわかっていました。
でも自由を手に入れるためにはやるしかありません。
当時冬だったので、夏には達成してやると意気込んで、夢中で作業と勉強を続けました。
借金・就職という恐怖から逃げるためにお金を稼いだ
その約3ヵ月後、月収100万超えました。
完全に想定外でした。
まだ夏にもなっていませんでした。
毎日数万円の利益が発生するようになったとき、僕は訳が分からず、いつものようにロッテリアの100円のハンバーガーと無料の水を頼んでいました。
環境の変化があまりにも急激すぎて、実感が追いつきませんでした。
18円しか入っておらず、全くその役割を果たしていなかった銀行口座に、突然見たこともないような金額が転がり込んできました。
僕は喜ぶというよりは、むしろ呆然としていました。
それまでの常識がまるで通用しない、全く別の論理で動く世界が突如として目の前に出現しました。
まず考えたのは、溜まりに溜まった借金をどうにかしなければならないということでした。
一体何度ATMや窓口へ返済のために分厚い札束を運んだことか…
返済し終えるまでに1年近くかかりました。
そして、やれやれこれで肩の荷が下りたと安心していたら、今度は個人的に借りていた100万円の借金があったことを思い出し、それも無事返済を終えることができました。
稼げるようになった直後というのは不安でいっぱいでした。
こんな馬鹿げた状況がいつまでも続くわけがないと思っていました。
夜寝て朝起きたら5万や10万の利益が発生している…。
はっきりいってそんな状況は僕の理解の範疇を完全に超えていました。
それだけのお金を稼ぐために、僕はどれだけ叱られ、どれだけ重たい荷物を運び、どれだけ棒立ちし、どれだけ同じセリフを繰り返し、どれだけ多くのものを我慢してきたか…
とにかく稼げているうちに、借金を返し終えなければいけない。
借金さえゼロにしてしまえば、仮に収入が途絶えたとしても再起は可能だ。
現在の怒涛のように利益が発生する状況は、パチンコの確変みたいなもので、いつかは終わるはずだと思っていました。
だから稼げるようになってからも必死に勉強しましたし、収入の柱を増やそうとして新しいことにもチャレンジしてきました。
何もかも借金や就職、アルバイトといった、僕にとって何よりも恐怖を感じるものから逃げるためです。
ところがいっこうに収入が減りません。
それどころか収入はますます増えて、半年〜1年後には月収200〜250万くらいが安定するようになっていました。
正直拍子抜けしたのが事実です。
しかもインターネット広告への投資の場合、一度仕組みを確立してしまえば、突然収入がなくなるリスクはほぼ有りません。
そういう収入源を確立できたことで、僕の不安も徐々に薄らいでいきました。
今思うに、僕はビジネスでお金を稼ぐということを難しく考え過ぎていたのだと思います。
有限の時間を使って無限にあるお金を稼ぐ矛盾
「お金を稼ぐのは簡単だ」という人は、お金がどうやったら得られるのか?その本質を理解しているのでしょう。
お金とは価値を提供して、その対価としてもらえるものです。
サラリーマンやフリーターなど、会社に雇われている場合は、自分の時間や労働力という価値を会社に提供しているからその対価として給料をもらえます。
だからこそ、「年収1000万は勝ち組」「週休2日」「1日8時間労働」「プライベートより仕事優先」「有給」「通勤」「ボーナス」「定年してから第二の人生」という、なんとも狭い、極端な世界の中でより豊かになりそうな選択をしなければならない人生になってしまうのです。
それはいわば、小さな箱の中にいる状態とさほど変わりません。
確かに、今の日本で月に20万〜30万円の給料をもらっていれば、あらゆる選択肢の中から物やサービスを購入できるので、何不自由なく、それなりに豊かに暮らせるとは思います。
ただ、忘れてはいけないのが、その20万〜30万の給料をもらうために膨大な時間を犠牲にしているという点です。
お金というものは言ってしまえば、際限なく稼げるので「無限」です。
でも、時間は「有限」です。
つまり、今自分の時間や労働力を売ってその対価として給料をもらっているいるということは、有限である時間を消費することによって、無限にあるお金を得ていることと同義です。
時間を消費しているということは、友達と一緒に酒を飲んだり遊んだりする楽しい時間や、大切な家族との憩いの時間や、自分が大好きな趣味に没頭する時間を犠牲にしているという事実に気づいている人は案外少ないのかもしれません。
いつか年老いたらできなくなくなってしまうことすら、つまらない仕事に時間を奪われてしまい、いつの間にかその機会を失ってしまいます。
(「死ぬ間際に感じる後悔」という類の記事でよく見かける話ですね)
でも、この世界には全く別の方法で価値を提供してお金を稼いでいる人たちがたくさんいるのも事実です。
その人たちはあくせく働かずに、労働力や仕組みに価値を提供してもらってお金を稼いでいます。
つまり、有限である時間ではなく、無限にあるお金を使ってお金を生み出しているということです。
だからその人たちには、
・毎日出勤しなければいけない
・1日8時間以上働かなければいけない
・休みは週2日しかない
・給料が決められている
・住む場所は会社からのアクセスで選ばなければいけない
なんて常識は存在しないのです。
そうなると、自分が友達と遊びたいと思った時に遊びに行けますし、平日の夜から集まって朝まで酒を飲みながら桃鉄することもできますし、2〜3ヶ月間ハワイでのんびり過ごすことなんかも平気で可能になってしまうのです。
こういう生き方ができる人たちは会社のルールや常識なんてない上に、時間が自由に使えるので行動の選択肢はもはや無限です。
つまり、自分ではなく労働力や仕組みに価値を提供してもらう状況さえありさえすれば、有限である時間をフルに自分の幸せに費やすことができるようになるということです。
価値を提供するのに自分の時間を使ったり、労働したりする必要は全くありません。
自分の時間を仕事ではなく、フルに自分の幸せに使う生活をしたっていいんです。
大半の人が会社に勤めているからという理由で、あなたも同じような生き方をする必要はないんです。
こんなことを言うと
「そんな生活は一部の才能や能力がある人しかできるわけがない」
「行動力がずば抜けてたに違いない」
「お金を持ってなければ無理なんでしょ?」
と言ってくる人がいますが、以前の僕のように身近に時間を使わない稼ぎ方をしている人がいなければそう思ってしまうのは仕方のないことでしょう。
それはある意味、環境に洗脳されているのと同じことです。
時間を使わずにお金を稼いでいる人たちが受け取っているお金のことを不労所得なんて言ったりしますが、その不労所得で月30万も入ってくる状況さえあれば、もうつまらない仕事や自分には価値がないと思わされるような仕事に有限である時間を費やすことなんて一切なくなります。
じゃあ、月30万の不労所得を得るために何年も血の滲むような努力や根性、才能や能力が必要なんでしょうか?っていうお話でございます。
とにかく、限りある時間を自分の好きな人や好きなことに使える人生の方が、よっぽど豊かなんじゃないかと僕は思います。
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